【 小説の書き方】『書けない』のが当たり前。

小説の書き方-プロ小説家が教えます サムネイル 小説を書く熟練度 超初級

『書けない』のが当たり前。

本屋さんに行って、『報告書の書き方』とか

『書き方』の本がどれだけ並んでか見てください。

 

なぜ、そんなに『書き方』の本があるんでしょう?

『書けない』からですね?

 

『書けない』人が『書きたい』から『方法を見つけたい』わけですね?

 

だから、『普通は書けない』んです。

 

『普通は書けない』のはなぜか?

本を読む人はいても、

その感想をブログに書く人は少ないでしょう?

 

日本人が世界一ブログやTwitterを活用していると言われます。

インターネット上の文字の半分ぐらいが日本語だそうです。

 

世界に200も国があるのに。

 

日本人はたくさんブログを書く。

日記を書くことも好きです。

 

でもそれは、『他国と比べて』です。

 

ミリオンセラーの新刊が出ると、すぐにTwitterとかブログに

書評が並びますよね?

 

だから、『みんなアウトプットしてるんだなぁ!』と思ってるでしょう?

 

ミリオンセラーって、『100万部』なんですね。

100万人が、その本について書きますか?

違うでしょう?

 

多く書いても数千人。

 

つまりは、99万8千人の人は、『何もアウトプットしていない』のです。

0.2%以下しか、アウトプットしないんです。

 

『書くこと』は高等技術。

江戸時代でも、『読める』人はたくさんいても

『自分の名前以外』を『書ける』人は、あまりいませんでした。

 

ナポレオンが軍隊を集めたとき

『自分の名前を書けない人』が半数いたんです。

 

日本人は百姓一揆などの連判状が歴史資料として残っています。

それを見て、各国の学者たちは物凄く驚くんです。

 

『百姓が文字を書けるなんて凄い!』

 

『書く』というのは、世界的、歴史的にみて『高等技術』なのです。

 

『小説を書く』というのは

『書く』ことの上に

『創作する』という芸術的センスが必要です。

 

報告書に芸術的センスは不要です。

でも、『報告書すら書けない』人、多いですよね?

 

A4一枚分の文字数しかないのに、

『書いてある意味が分からない』人。

 

Twitterでもいるでしょう?

140文字ぎっちり書いてるけど、『日本語?』みたいな人。

 

『たかが140文字』すら、まともに書けない人が多いんです。

『小説』って、新書だと12万文字あるんですよ?

 

  • 顔やスタイルがマズイから芸能人にはなれない
  • 絵はかけると思えないから画家や漫画家にはなれない。
  • 小説なら、文字を書けばなれるから、小説家は可能かも!

 

どんな理由で『小説を書きたい』と思ってもいいんですが

『小説を書く』というのは『12万文字を生み出す』ということです。

 

『簡単な気持ち』では無理です。

 

ただ『絵を描く』よりは、

『上達したときの技術維持が容易』というだけです。

 

『絵を描く』のは大変に決まってる。

『絵を描く』という行為は、

  1. 描きたいものを決める。
  2. 画材を用意する。
  3. 構図を決める。
  4. 描く。

 

そして、巧くなった後も

『絵を描くこと』を続けないと、すぐに『描く技術』は劣化します。

 

なぜなら、『手や指の動き』が重要だからです。

つまりは、『小脳の運動を司る部分を使う』からなんですね。

 

だから、『一旦、「巧い!」と言われるぐらい技術をあげる』ことをしても

描かなければ、すぐに劣化します。

 

それに対して『小説を書く』というのは

『一度、巧くなれば』、あとは脳味噌だけの問題なので

他人の小説を読んでも巧くなるのです。

 

もちろん、キーボードを叩くための『手や指の動き』は必要なので

その部分は、使い続けないと『アイデアをデジタル化すること』には

支障をきたすかもしれませんが、

『創作自体』はいくらでもできるんです。

 

そういう意味で

『小説を書き続ける』ほうが『絵を描き続ける』より

労力は少なく済みます。

 

ただ、

『今まで何も書いてこなかった人』が

『小説を書けるようになる』には

それなりの苦労は必要です。

 

今は『音声入力』も発達してきたので

両手が使えなくても、『発声』することさえできれば

小説は書けます。

 

その点、体力がなくて、

手が震えるようになったら絵が描けなくなる、

そういう、『書くことへの運動能力』は低くても『小説は書ける』のです。

 

『へたうま絵』は小説にはない。

絵を描いている人には失礼な話かもしれませんが

『絵』には『へたうま絵』というジャンルがあります。

 

『現代アート』になると、『何を描いているの化すらわからない』ものもあります。

 

『絵』というのは『具体的』でなくても良いのです。

『キャンバスに色を塗る』ことで『絵』になるのですから。

 

でも、小説は『日本語として成立』しないと

『日本語の小説』にはならないのです。

 

『国語の感想文』を書くのが拷問だった人は

『小説を書く』ことを『始める』ことは

とても大変です。

(大変なだけで不可能ではないです)

 

私は、国語の感想文なんて、呼吸するように書けたので

なぜみんながウンウン悩んでいるのか意味がわかりませんでした。

 

40人クラスにいて、私一人がとっとと書き上げた。

つまりは、39人は『簡単に感想文を書けなかった』ということです。

 

比率で言うと、

2%の人が『簡単に感想文を書ける』だけなのではないでしょうか?

もちろん、受験校にいけば、この比率は上がるでしょうけど。

 

あなたは、どちらでしたか?

 

  • 感想文なんて、
    • 記憶にも残っていないほど簡単だった?
    • 感想文には毎回苦しめられた?

 

苦しめられたのなら、『小説を書く』ことを『始める』のは

かなり苦しいですよ。

 

逆に、簡単だったのなら、小説を書くことは天性の才能が有るでしょう。

 

どちらの場合も、

『小説を書く』ことと『その小説が面白い』かどうかは

別問題です。

 

簡単に書いたからといって面白くなるわけでもなく

苦しんで書いたからといって面白くないわけでもないです。

 

よう『仕上げ』の問題ですから。

 

まとめ。

技術的に、『小説を書くこと』が普通になれば、

『小説を書く』ことを『維持すること』は

『絵を描く』よりは簡単。

 

ただし

『小説を書く』には『12万文字』を頭からひりだす『創作力』が必要。

 

どういう理由で『小説を書く』ことを選択してもいいのですが

『書く』と決めたなら、『勉強すること』は必要です。

 

『小説を書くことの勉強』というのは『字を書き続けること』。

 

一番簡単な『勉強方法』は、

  • 日記を書くこと。
  • Twitterに長文を垂れ流すこと。
  • ブログを書くこと。
  • 『メモ魔』になること。

 

とにかく『字を書く』ことです。

 

『字を書く』ことは、やってると楽しくなります。

最低でも三か月ぐらい続けてから

この先続けるかどうかを論じましょう。

 

三か月続けられないなら、あなたは字を書くことに向いていません。

 

『字を書くこと』は楽しいことだと思えるまで書き続けましょう。

楽しくなれば、趣味になりますから

いくらでも書けるようになります。

 

『小説を書く』のではなく

『頭に浮かんだことを全部書き出す』と思ってください。

 

『書き出すこと』ができるようになれば、あとは『創作』の問題です。

 

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