蜻狸『山百合の小兵』第9稿

小説の書き方

 短刀達が続々修行に立つ中、蜻蛉切はこの本丸に参画し、その日のうちに阿津賀志山に送り込まれた。
 近侍のへし切長谷部、燭台切光忠、陸奥守吉行、鶴丸国永、同田貫正国とともに向日葵の海を馬で駆け抜ける。
「天下三名槍の一振りと言えど、今のお前の槍は敵に刺さらん! 後ろで見ていろ!」と長谷部に怒鳴られ、背後の敵を注視するに徹していた。
 戦陣が広がるにつれ、蜻蛉切も走ったが、後ろからきた短刀をはたき倒している間に少し離れてしまい、焦る。短刀一本叩くだけでも槍が大きくたわみ、『錬度の差』を突きつけられた。幸運にも、敵は叩きつけた岩で砕けてくれたので、一本は対処できたことに安堵する。
 もともとが、刺すよりは払い倒すような使い方が多い。刺さらなくても働きはできる! と心を持ち直したその時、目の前を黒い影がよぎったのに蹈鞴を踏んだ。
 敵大太刀の懐に入った同田貫だったが、蜻蛉切はまだ、その名を知らなかった。

[newpage]

 蜻蛉切は顕現した瞬間、主に叫ばれた。
「初槍万歳っ! さぁ、お山行っといで! 明日までに徳つけるんだよ! 彼が近侍の長谷部だよ! 言うこと聞いてね!」
 主の顔すらまともに見られなかった。挨拶などに重きを置かないおかたらしいと認識する。
「長谷部殿、村正はもう参っておりますか?!」
 馬で駆けながら下がってきてくれた長谷部に叫ぶ。
「村正? いや、話も聞いたことは無い! 今はお前だけが村正だ。主に戦果を持って帰るぞ! 新参っ! 励めよ!」
「はいっ! この槍に賭けましてもっ!」
 最後尾を駆けたので、振り返って指示をしてくれた長谷部と、大丈夫大丈夫、と背や肩を叩いて自己紹介してくれた鶴丸と燭台切しか名前を知らない。
 隊長の長谷部より前を駆けている黒い小兵には気づいていたが、大太刀の懐に入ってしまうと更に小さく見える。
「新参っ! 後ろでミチュウガエイヨ! サガレィッ!」
 茶色い小兵に何か言われたが、蜻蛉切は理解できなかった。
 戦線は一瞬で混沌と貸す。
 先程目についた黒い小兵、同田貫正国が、左の敵をなぎ払おうとしている。それを、右からもう一人の敵に狙われていた。
「あの小兵! 危ない!」
 蜻蛉切が右の敵の胸に槍を突き出す。
 その瞬間、左の敵を切り払った同田貫の切っ先が右側に向くのを、蜻蛉切は見た。
 最初から右の敵を知っていたのだ。今だと、真後ろから切りかかられているというのに。
 だが、既に槍も引けなかった。そんな俊敏性が自分に無いことを、蜻蛉切もよく知っている。突けば通すのみ。だが、このまま突進すれば、同田貫の攻撃範囲というより、その刀を振り上げる邪魔になってしまう。刃の外側に避けるような器用さは自分に無い。右に移動すれば転倒するのは目に見えていた。立っていれば叶わない者でも、こけた者相手ならばめった打ちにできる。戦場でこけるということは、死を意味した。
 その刃の下をかいくぐって駆け抜けた方がマシか、と腰を落とす。体勢を崩すことになるからこける可能性は高いが、同田貫の刃の届かないところでこけるより、刃の下でこける方が、敵の刃は届きにくい。
 同田貫は、味方なのだから。
 大体、あれぐらいの敵なら、体重は同じぐらい、突き通すことはできるはずだった。
 できる、と、思ってしまったのだ。
 蜻蛉切が槍を突き出してから、まだ二秒も経っていない。だが、戦場の二秒は、長いのだ。
 長い、のだ。
 蜻蛉切は、槍の手応えに違和感を覚えて背筋を震わせる。
 槍は、刺さらなかった。
 『錬度の差』が、蜻蛉切の突進力、体重すら、十分の一ほどの衝撃にしか感じさせないのだろう。
 『お前の槍は敵には刺さらんっ!』と言っていた長谷部の言葉を思い出す。
 つまりは、敵の胸を切っ先で突き飛ばしてしまったことになる。刺し貫くつもりだったので、勢い、突進していた。
 敵の喉元を同田貫の切っ先がかすり、敵は後ろに蹈鞴を踏んだ。蜻蛉切が押さなければ、その刃は確実に首を切断しただろう。槍が敵につっかかったために、腰を落とすこともできなくなった。
 敵の手が槍を握ろうと、している。
 まだ、蜻蛉切は突進したまま前体重だ。下がれない。前に足を出して引かなければならない。
 足を、前に……
 だが、蜻蛉切は、見ていた。
 金色の、闇を。
 蜻蛉切が突き飛ばした敵は、燭台切が走り込んで切り伏せた。槍の先に誰もいなくなったので、足を出す前につんのめった。突進が止まらない。
 同田貫の、敵の喉笛を切り裂く筈だった切っ先が、蜻蛉切の柄の上を滑るように旋回する。普通に振り切った円弧だと、蜻蛉切は錯覚した。その邪魔にならないようにと腰を低くはしていたのに。
 その刃は、蜻蛉切の頭に合わせて、振り下ろされていたのだ。
 肉食獣の牙を、見た気が、した。
「槍だっ!」
 猛禽類の瞳が叫んだその音を、かろうじて、聞いた。
 まだ、彼の右手は蜻蛉切の柄の上に、ある。
 その状態で叫べたのは称賛に値する、と蜻蛉切は笑みを浮かべてしまった。気づいたことをすぐさま発布する、その指導力や良し! 力強い味方だ。
 味方で、あれば。
 二尺向こうに居た黒い彼が、大きく一歩踏み込んで、来た。
 まだ、蜻蛉切が『あの黒い小兵危ない!』と思ってから、三秒も経ってはいない。
「それは味方だ! 同田貫!」
「同田貫くんっ! 殺しちゃ駄目だよっ!」
「槍だぁっ!」
 そうだ。
 自分は、槍だ。
 彼は、間違っては、いない。
 槍、だ……
 本丸の大門を入ったときに、『槍から殺せっ!』と、短刀達が自分に向かって笑っていたことを、蜻蛉切は覚えている。主の喜び方も、もしかしたら異常だったのかも、と今気づいた。
 敵に強い槍がいて、対抗できる槍の自分が来たから喜ばれたのだ。
 彼は真後ろに左足で踏み込んだ勢いで上半身を旋回させ、切っ先を、蜻蛉切の首に切り下げた。
 彼は錬度『八二』。蜻蛉切は『一』。
 避けられる、筈が、無い。
 右肩に切っ先が食い込んだ。
 冷たい金属の感触とともに、肋の手前に刀が行き過ぎる。鎖骨が切断され、喉仏に……
 否。まだ、蜻蛉切は止まれては、いない。岩で左につんのめったのは、幸か不幸か。
 喉仏を切り裂く筈だった、彼の切っ先がこめかみにめり込んだ。
 なんと美しい黄金の瞳だろうか……
 満面の笑みに突っ込んでいく自分を感じる。
 頭の中が冷たくなって、キラキラシャリン……と、とても美しい音を聞いた。
 この冷たさは、彼の刃の温度だ。
 こんなそばで、彼に、触れた。
 触れられた。
 キラキラシャリン……
 天女の爪弾く琴の音はこのようなものだろうか……
 蜻蛉切はうっとりする。
 その音が輝きながら頭の中を駆け回り、彼の黄金の瞳に吸い込まれていく。
 ああ、彼の音なのだ。
 彼の切っ先の音なのだ。
 なんと雅びやかな心なのであろう。
 蜻蛉切は笑ってしまった。
 戦場で、このように美しいものに出会えた。その喜びが果てしない。
 金色の瞳が赤く閉ざされていく。
 ああ……もっとその色を見せて下され………
 気がついたとき、蜻蛉切は戦場のど真ん中で、横様に尻餅をついていた。
 鶴丸が右腕を止血してくれ、同田貫が燭台切に羽交い締めにされて、同田貫と自分の間に近侍の長谷部が立っている。近侍の左手は、同田貫の切っ先を握り込んで血を溢れさせていた。蜻蛉切の頭蓋骨を両断するはずの刃を止めてくれた上で、蜻蛉切を反対側に突き飛ばしてくれたのだ。
「寝てろ。槍くん。脳味噌やられてる。もう動けんだろ。人間なら即死だ」
「これだけちぎれても息があるんだから、付喪神って異常だよね」
 誰かに言われて頷こうとしたが、首が動いた気配はない。蜻蛉切は、後頭部を支えられながら、上半身を倒された。
「そらっ、アタマニワシィノフクシイテヤルキネチュウガエイヨ!」
 また、わからない言葉が聞こえる。
 先程冷たかった頭の中が、熱い。右の耳から、押されるような息苦しいような圧が全身にひしめいていく。
「どこが痛い?」
「右耳が……苦しい、…………で……す……」
「ああ、血が流れ込んでるからな。……というか、切り刻まれてるのに、耳かい?」
 輝かしいほど青い空の中、さも楽しそうに白い影が揺れる。
「落ち着いて同田貫くんっ! 彼は味方だよ!」
「敵を逃がしたっ! 俺が獲る筈だった首を逃がしたっ! 敵だっ! 敵を助けやがった!」
「君を助けようとして槍を突いたら、錬度が足りなくて突き飛ばすカタチになっただけだよ。敵を助けようとしたわけではないよ! 落ち着いてっ」
「はぁっ? そんなやつを連れてくるなっ!」
「仕方ないだろう。新参は阿津賀志山で育てるのが主の方針だから。もう、錬度一二になっているし。次は刺さるぐらいはするよ」
 同田貫が燭台切を、そして蜻蛉切を睨みつける。今にも唾棄しそうに歯を軋らせて、燭台切を肘鉄で振り払った。殴られる前に、燭台切も軽くステップを踏んで下がる。まったくしょうがないね、と両手を肩の辺りで開き、小首を傾げて笑った。
「ハッハッハ。あれがウチで一番の戦闘狂、同田貫正国だ。お前さん、はなから派手な洗礼受けたなぁ? 俺も最初に右腕やられたぜっ! 俺の声、聞こえてるか? 左の耳は聞こえてるよな?」
 同田貫の魂切る叫びを笑い飛ばす白い影が揺れて、その影の中にも血の色を見つけた。
 青と白と赤、そして黒。世界はかくも単純なものなのか、と感嘆する。
「はい…………ただ、先程からずっと、綺麗な音が聞こえます………………なんと美しい……」
 キラキラシャリン……と金属でできたせせらぎのような音は続いている。
 体が沸き立つような心地よさに覆われて、蜻蛉切は、自分が笑っていることに気づいた。
「あー……脳の髄がいかれっちまってるからなぁ…………長谷部っ! これ、撤退だろ? 火を熾そうぜ」
「そんなに悪いのか?」
「頭が千切れ掛けてる」
「全然、痛くはありませぬ……」
「それが一番やばい」
「まぁ、苦しくないのなら、僕たちも気が楽だけどね。もっと痛いことをするからね」
 そうだな。痛さを感じないというのは、死ぬ寸前だな……と、蜻蛉切も心の中で頷く。
「まぁ、怪我は本丸の手入れ部屋に入れば治るから心配するな」
 影がせわしなく動いている。自分も何か働きを、と思うが、如何せん、指一本動かない。普段なら一番下っぱの自分が動くべきで焦りが走っただろうが、今はただ、キラキラシャリン……と脳内を駆け回る音に酔っていた。
「同田貫は俺たちを顔で見分けておらんからな、お前はしばらく敵扱いされよう。側に寄るな」
「顔で見分けていない……とは?」
「大雑把に、色と体格でしか見てないみたい。顔を覚える気が無いんだろうね。焚き火ついたよ……と、もうやってるね」
 ようやく落ち着いたらしい同田貫が刀をマフラーで拭っているのをおいて、燭台切が火を熾して蜻蛉切の側に膝をついた。首の傷の具合を見る。
 振り返った先で、陸奥が火のついた枝を取り上げ、蜻蛉切の傷を焼灼していく。その熱さすら蜻蛉切はわからず、ふわふわと笑みを浮かべていた。それに燭台切たちも安心する。
 生き残らせるためにする医療行為だけれど、麻酔も無いところで大火傷で出血をふさぐのだ。痛みがある間は、その悲鳴で自分たちも苦しくなる。される方が痛みを感じていないのは不幸中の幸いだった。彼が痛くない、いうのもあるけれど、する自分たちも気が楽なのだ。
「いまだに、僕と和泉くんと長曽祢くんの見分けをつけてくれないからねぇ……困ったものだよ……」
「ワシィモクリカラトマチガエルラレユウヨ!」
 陸奥の肩を叩きながら、鶴丸も自分を指さして笑う。
「俺も、『おい近侍』って声掛けられたことあるぜっ」
 この声は、あの白作りの華奢な刀だ、と蜻蛉切は思い出した。たしかに、あなたも近侍も似た身長で髪が白っぽい、と笑えてしまう。
「まぁ、君の身長の人はいないから、間違われはしないと思うよ」
「愛染と間違えたりして」
「髪が赤いからか?」
「さすがにそれはなかろう」
「おい近侍っ! 進まねぇのかよ!」
 同田貫が、倒れている敵の太刀から刀を取り上げて振り回し、切っ先がまっすぐかどうか、透かし見ながら怒鳴った。
 彼が自分の刀で戦うのは初手だけだ。敵を倒すと、その刀で戦って使い捨てにする。刀を折るのが楽しいらしい、とみな理解していた。
「新参が重傷だ。撤退する前に……」
「おう……任せな……」
 敵の刀を振り回しながら、同田貫が蜻蛉切の側へ歩いてきて、焚き火の炎で刀を焼いた。
「同田貫、これは新参の槍の蜻蛉切だ。覚えろ」
「でけぇ役立たずがいることは知ってる」
「初槍だぞっ! お前に殺されてはかなわんっ! 首を狙うなよ!」
「蜻蛉切、君を動かすのは大変だから、手足を止血して落とすぜ? 痛くないならどうともない筈だ。気を抜いてろ。怪我は本丸に帰ればすぐに治る」
「こいつ、いっちょまえに勃ってやがるぜ。刀に引っかかりそうだな、さすが槍だ」
「重症の時は勃つよな」
「でかいなーっ! 人間だったら伴侶の女探すの大変そうっ!」
 同田貫が、真っ赤になった刀の先端で蜻蛉切の腰をつついた。そのままそれを振り上げる。
 キラキラシャリン……
 また、あの美しい音を聞いて、蜻蛉切は哄笑をあげた。
 なんと美しい黄金の瞳なのか!
 まるで雪山に君臨する鷹のようだ!
 無い腕で、蜻蛉切は同田貫を抱きしめた。

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「初槍ーっ! 早速タヌキにダルマにされたながっ! お疲れさんじゃきっ!」
 蜻蛉切が手入れ部屋から出ると、みなに肩を叩かれた。
「わしぃも、短刀と出たらようやられたぜよ!」
「自分は重たいですから、仕方ないですな。折れるよりは良いです」
「そう考えられるなが?」
 この方言はどう取れば良いのだろう? と蜻蛉切は陸奥を眺める。戦場でも何度かこの声を聞いたが意味がとれなかった。
 落ち着いた今はまだ、日本語だとはわかる。
「重たいからって手足を落とすのが、普通じゃと?」
 蜻蛉切が聞き取れなかったのに気づいた陸奥が、もっと方言を抜いて聞き返してきた。
「普通がどうかは存じませぬが、ここではそうなのでしょう? 手入れ部屋に入ればこの通り、五体満足になるのですし、異論はございませぬよ」
「……えい槍じゃっ! マハハハハッ! ああ、わしゃあ、前近侍(まえ きんじ)、今右近侍(いま うきんじ)の陸奥じゃっ! よろしゅうなっ!」
 それは、追い落とされたということだろうか? 右近侍ということは左近侍はどなたなのだろう、と、蜻蛉切が一瞬考えたとき、陸奥がニッ、と笑った。
「近侍なんて面倒臭いのん、したかなかろ? 長谷部がしたがってから押しつけたんじゃぁっ! まぁ、わからんことあったら、わしぃに聞けやっ! 金から煙草からオンナから、融通してやるきっ! なっ? おまん向けに背の高いオナゴ居るき、紹介しよか?」
「……ご高配ありがたきことでございます。またその時に、お頼み申し上げます。こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げまする」
 近侍の長谷部は静かな印象を受けた。その分、副がにぎやかなのは頼もしいことだ、と蜻蛉切は納得する。
 そのあとも、蜻蛉切は重傷になるたびに同田貫に手足を切断されて馬に担ぎ上げられた。転送ポートが近いときに、足を二本切り落とすのは面倒だ、と腹を両断されたこともある。
 そのたびに蜻蛉切はキラキラシャリン……と、あの綺麗な音を聞いていた。進んで怪我をする気は無いが、重傷になれば同田貫が斬ってくれてその音が聞ける。それはひそかに蜻蛉切の楽しみにもなっていた。
「てめぇ、いい切り心地になってきやがったじゃねぇかっ」
 錬度が上がって体の強度もついた蜻蛉切。そんな彼に、同田貫が舌なめずりしながら腹に正拳突きを入れてくる。腹に力を入れてなければ身が二つになりそうな痛みを受けただろう。
 平気な蜻蛉切を見て、更に何度か殴り、胸を叩いて歩いていく。
 その口に、笑みが掃かれていた。
 戦のときしか笑わない同田貫。
 敵を切り裂いたときしか笑わない同田貫。
 その笑みを、蜻蛉切は初斬で見ていた。
 自分の手足を切り落としたときに、彼は笑っていたのだから。
 子供のように笑うのだな、と、いつも微笑ましかった。それを、本丸でも見られたのは僥倖だ。
 キラキラシャリン……
 彼の刃が蜻蛉切の骨を切断するときに聞こえる音だ。
 相変わらず、美しい。
 錬度五〇になった蜻蛉切の手足を一刀両断できるのは同田貫だけだ。
 他の者も、すればできただろう。だが、進んでそんなことをしたくはない。同田貫は捨て刀でするから、『自分の刀が折れる』という心配はないのだ。みな、他人の刀など使いたくはないし、他人の刀で自分のウエストほどもある蜻蛉切の腕を切断できるかと言われると無理だろう。ましてや、自分の刀でこの巨体を切断したくはない。
 二つ胴、三つ胴の異名を持つものはいるが、それは『死体を切った』だけだ。生きている体は弾力がある分、簡単には切断できない。
 その特性上、同田貫は新参とよく出撃している。
 だからこそ、錬度が上がった蜻蛉切は、同田貫を見る機会が少なくなったことに寂しさを覚えていた。

 
[newpage]

「おい、短刀」
 畑に座り込んでいた蜻蛉切は、同田貫に後ろから声をかけられた。二人で畑の内番なのだ。
 畑は、向日葵の森を切り開いた中に作られている。もともと荒野だったこの辺に、短刀達が向日葵の種を蒔いたらしい。それが見張るかす限りの森になっている。否、森と感じるのは短刀達だけだ。蜻蛉切は頭二つ出ているので、見事な黄金の波が見えている。
 今は、その脇にしゃがみ込んで雑草をとっていたのだ。
 短刀が向日葵の中にいるのだろうか、とは思ったが、とりあえず、それは自分ではない。
「聞こえねぇのかよっ! このチビ!」
 予想外に背中を蹴られて、咄嗟に手をついた。
 同田貫が、自分の肩に足をおいて揺さぶっている。何かで帽子が邪魔だったのだろう、左手に持っていた。
『愛染と間違えたりして』
『髪が赤いからか?』
『さすがにそれはなかろう』
 初斬の時にそんな話を聞いたのを、蜻蛉切は覚えていた。本当に間違われたのだと、唖然とする。
「馬番も頼まれてる。あと任せるぜ」
 照りつける逆光でまったく彼の顔が見えなかったが、人指し指が背後の本丸に向いているのがかろうじて見えた。
 顎から汗がしたたっているが、彼の表情からは、暑いだの不愉快だのの気分は見て取れない。
 斬撃で笑う。進撃できなくなると怒る。それ以外は無表情だ。
 あれは笑っているのではなく、吠えているのだろう、と、蜻蛉切は思う。野生の獣が牙を剥いて噛みついてくる表情だ。決して、本人も『笑っている』つもりはなさそうだった。
 食事に対しても、甘いものでもからいものでも、表情も箸運びも変わらない。鶴丸がいたずらで、味噌汁にわさびを入れたときも、まったく反応せずに普通に飲み干したのだ。あの同田貫がからいと泣く様を見たい! と仕掛けたのに。それから、鶴丸は一切彼に絡まなくなった。
 よく甘いものを食べているので好きなのかと聞いたことがある。
『アマイモノ?』
『よく食べておられるでしょう? 今も、』
 みたらし団子を持っている同田貫の手を蜻蛉切は指し示した。いつも世話になっているので、ナニカ好きなものを贈りたいと考えたのだ。
『これ、アマイモノなのか』
 団子に横から食らいつく同田貫。
『甘いでしょう?』
『口に入りゃなんでも同じだ』
『断られないので、好きなのかと考えておりました』
『毒じゃねぇ』
 この本丸の者が自分に害のあるものを出すわけがないのだから、出されたものは断らない。それだけのようだった。自分に渡すのだから、自分に必要なのだろう、という考えらしい。
 甘いもすっぱいも区別してなさそうだった。
 わさびも関知しないのだから、甘い辛いなど、同じなのだろう。
 だが、『気にしない』だけで、わさびの刺激を無視できるものなのだろうか?
 蜻蛉切は思い出した。彼は梅干しを食べても酸っぱそうな顔もしない。厨の内番の時も、タマネギを刻んで涙を流してはいたが、無表情だった。
『目が痛いって? 斬られる方が痛いだろ。戦場で、目に泥が入ったからって目をつむるのか? めんたまえぐられようが、斬るだろ。
 次どれ刻むんだ。さっさと出せ』
 普通に目を開いたまま、滂沱と涙を流して、けれど口調は平静だ。体が刺激に反応しないわけではなく、反応しても、それを行動に出さないようにしているようだった。だから、わさびの味噌汁も、鼻が痛かったのを感じただろう。だが、リアクションを取らなかっただけなのだ。
 『平常で居る』ことが、痛みや刺激に勝るらしい。
 それは、確かにそうだが、そこまで自身を律せるものなのかと感嘆する。
『同田貫殿のあれは見事よのう……』
 いつのまにか隣にいた山伏も、蜻蛉切に頷いて見せる。
 キュウリを刻むのもタマネギを刻むのも彼には同じらしい。だから、タマネギを刻むときは、畑番や手合わせの代わりに彼が呼ばれている。
 喜怒哀楽に心が開かれていないのだろうね、と左近侍の歌仙兼定がため息をついていた。
『同田貫は「刀であること」以外に興味が無い。
 刀ならば、痛いも寒いも無いから、気にしないのだろう。夏は熱射病で倒れたし、冬は手足を凍傷で腐らせたよ。出陣の時は気をつけているけれど、出陣が遠いときはよく倒れているね。倒れればその分出陣を減らすよと言ってようやく、水を良く飲んだり、手足を温めたりしてくれるようにはなったけれど、それでも倒れるから問いただしたら、寒いだの熱いだのというのが「わからない」と言っていたよ』
『わからない……とは?』
 蜻蛉切の問い返しに歌仙は疲れたように首を横に振った。
 長谷部が本丸を統括し、陸奥が用立てをし、歌仙が精神面で全員を掌握しているのだ。だから、同田貫のそういうのは歌仙の範疇らしく、手を焼いているらしい。
『人間には「反射反応」というのがあるだろう? 痛い、熱い、冷たい、とかの時に、脊髄反射で体が逃げる。あれは、付喪神とはいえ、人間の体の僕たちもそうなのだよね。けれど彼は、そこが切れている……のかな?
 炎に手をかざして火傷をしても、手を引かないのは……困ったよね……』
 蜻蛉切が目尻を引きつらせる。
『人間も、考えことをしていると、フィルターの無い煙草でくちびるを焦がしたり、凍死したり、するだろう? 全部が彼にとってはそんな感じらしい。
 戦場で戦っていれば、寒さなんて感じないよね? 興奮しているから、寒くても手足が腐ったりはしない。雪山で戦ったことがないからだけれどね。炎天下で戦っていると、大量に汗をかくだろう? あれで体温調節はできているし、そうなると彼も水を飲むのだよ。去年の夏は、水が切れたからと、敵の血を飲んでいたこともあった……
 とにかく『戦っているとき』は彼の健康は万全なのだよ。彼が倒れるのは本丸でだけなのだよね。『日常でどう生活したら健常でいられるか』が、わかっていないのだよ。
 帽子をかぶれ、手袋をつけろ、とかは言っているのだけれど……興味が無いから右から左のようでね。
 本丸の仕事はしてくれているし、律を破ることも無い。彼自身が騒ぎの発端になったことも皆無。人間らしく在れなどと言える筋合いもないからね』
 戦場以外での、彼の楽しそうな顔を、見てみたいものだけれどねぇ……と新緑の瞳が憂いを帯びて瞼を伏せた。
 同田貫殿の楽しそうな顔。
 蜻蛉切も繰り返してみたが、戦場での気炎以外、思い出せない。
 だからいまだに、『彼の好きなもの』を贈ることもできていないのだ。とりあえず、刀を拭くための上等な懐紙を贈ってみた。「おお、ありがとよ」と、胸に入れてた懐紙の外側にそれを置いて、また胸にしまわれただけだ。たんに、『消耗品の追加』をされただけで、世話になった礼と、取って貰えた気がしなかった。
 何を差し上げれば同田貫殿は喜んで下さるのだろう?
 折れるまで持ちそうな疑問に思えた。
「おいっ!」
 もう一度肩を蹴られて、蜻蛉切は目をしばたかせる。
 同田貫と畑の内番をしていたのだ。頭を振って彼を見上げる。逆光の中、金色の瞳だけがギラリと光っていた。
 同田貫は『手合わせ』と引き換えにするのなら、仕事を替わってくれることが多い。最近は人数も増えたために出陣できる数は相対的に減っている。じっとしているのも嫌だし、普段組まれない手合わせをできることの方が楽しいのだ。だから、彼がのんびりと茶をすすっているところなどを見た者はいない。相手がいなければ、延々と素振りをしているか、山伏国広と山を駆け回っているらしい。
 だが今日は、畑当番が主務だ。同田貫が自分の趣味で人の仕事を肩代わりしてこちらを疎かにすれば、蜻蛉切の仕事だけが増える。
 それに、温厚な蜻蛉切でも、名前を間違えられるのは嫌だった。
 戦場での名誉を他人に盗られるのと同じだ。自分のしたことは自分だと認識してもらわなければ困る。
 けれど、こんなところで名乗るのもどうかと思ってしまった。
『てめぇ、いい切り心地になってきやがったじゃねぇかっ』
 自分で一刀両断しながら、笑って腹をたたいてくれた彼は、『蜻蛉切』固体を認識してくれていた筈なのだ。
 蜻蛉切は、同田貫が体勢を崩さないようにそっと足を外し、立ち上がった。
「あ?」
 眉を寄せながら蜻蛉切の顔を見上げる金色の瞳。金属でできた向日葵のようだ、と蜻蛉切は思った。
 幼い顔は少し上を向いても逆光なので、そっと二歩移動して、自分が逆光に立つ。太陽に照らされたその瞳がもっと輝いたので、嬉しくなった。
 蜻蛉切ならば、この体勢で太陽に向かえばまぶしくて目を細めるが、彼はそういうことをしない。『あいつはいろいろ鈍いから、まぶしくもねーんだろ』と鶴丸が笑っていた。まぶしいまぶしくない、というのはそういうものだろうか? と蜻蛉切は思ったが、目の前の大きな瞳が太陽に向かったとて、しかめられることがないのも事実だ。先の冬も、銀世界の中で素振りをしていて、雪の反射で目をやられていた。だからと言って、与えられたゴーグル型サングラスを掛けた彼の物騒なこと。乱たちが笑い転げていた。
 いつでも、真正面から自分を見上げてくださる。澄んだ瞳だ……、と蜻蛉切はよく見とれる。同田貫はほとんどの者に挨拶すらしない。顔を見ることさえ少ないのだ。だから、こうして『見上げてくれる』というのは破格の扱いの筈だ、と蜻蛉切は胸が熱くなる。
「お前か」
 同田貫の肘が後ろに引かれたのを見て、蜻蛉切は少し腹に力を入れた。予想通り腹に正拳突きが来て、そのまま、バシバシと胸をたたかれる。まったく無表情だが、弾む手のひらに機嫌の良さがうかがえた。彼のこの暴力は攻撃ではない。スキンシップだ。
『てめぇ、いい切り心地になってきやがったじゃねぇかっ』
 あの後から、挨拶代わりに殴られるようになった。
 岩融は大坂城で錬度を上げたので、同田貫が一緒に出陣していない。だからか、同田貫は彼を個別認識していないようだ。
 斬ったことがある者だけしか、認識なさらないのだろうか? と考えたが、一度しか出陣したことの無い御手杵とも殴りあっている。
 蜻蛉切が参画した後ぐらいから、大坂城攻略が繰り返されたために、簡単な出陣で新参を育てるようになったのだ。だから、既に錬度六〇を超えた蜻蛉切や、もちろん同田貫も、新参と出陣することはまずない。
 それなのに、御手杵と同田貫はとても近しい。
 御手杵は蜻蛉切より三か月ほど後に来たのだ。だがそれも、二年経てば僅差だった。
『おおっ! トンボー、タヌキ見なかった?』
 御手杵にそう聞かれて、『さぁ?』と答えるのが常だ。
 同田貫がどこにいるのか、大体蜻蛉切は知っていた。それでも、答えなかったのだ。
 なぜだろう、といつも思うが、意味がわからないままだった。何か困るようなことがあれば審神者に問おうと考えているが、困ったことが無いので捨ておいている。
 今日、畑仕事に来るときにも御手杵にそう聞かれた。同田貫は畑に向かっている筈だが、蜻蛉切はやはり『さぁ?』と答えたのだ。
 以前、御手杵が、物陰で同田貫を抱きしめているのを見てしまっていた。
 同田貫の顔を両手で押さえつけて齧り付いていたのだ。『口吸い』だと、人間との生活が長かった蜻蛉切は理解していた。戦場では衆道も良く見たのだから。
 だがそれは、『同位』の者が相手ではない。目下にすることだ。
 『この本丸の先達』である同田貫を、『三名槍』や『御手杵』の名をもって『目下扱い』するのか、と手に槍を召喚したそのとき。
 同田貫が御手杵の股間を膝で蹴り上げた。
 離れたその高い鼻に頭突きをかまし、腹に下から体重の乗った正拳突きを二発。膝裏を蹴りつけ、もっと屈んだ延髄に真上から肘鉄。
『お見事!』
 咄嗟に蜻蛉切は掛け声を挙げてしまった。蜻蛉切の時代には『拍手』という習慣がないので、讃える時はなんでも掛け声になる。
 御手杵はぴくりとも動かずに血を吹き出していた。
『運んどけ』
『凍えるような季節ではございませぬな』
 放置いたしましょう、と暗に断罪しながら槍を消した蜻蛉切の胸を、バシバシと同田貫が叩いて過ぎる。
『同田貫殿、影の下をお歩きください』
 燦々とした太陽の下を歩いていこうとした同田貫が振り返る。
『これから暑うなり申す! 去年も夏に倒れられたでしょう? 太陽の熱さで体がやられるのです。太陽の下にいる必要がない時は、影を歩いてくだされ。木陰を歩けば、倒れることはありませぬ』
 同田貫は二度頷いて、左手の林の中に入って行った。
 この夏、同田貫が倒れたのは、馬がやられた負け戦の帰還時に、長谷部を背負い、小夜左文字を小わきに抱えて本丸に帰還した時だけだった。熱中症と疲労と出血で重傷だったが、その一度きりだ。影を歩いてくれているのを、蜻蛉切は見たことが何度もある。
 同じように帽子を勧めたこともあった。
『夏の日の下に出る時は、帽子をかぶって下され。木陰を連れて歩けるので、倒れなくて済みます』
 その帽子を、同田貫は秋までずっとかぶっていた。
 話せば通じるではないか……と、蜻蛉切は思う。
 蜻蛉切がかぶれば肩が出る麦わら帽子も、同田貫がかぶると、二の腕まで影の中だ。
 ああそうだ、このかたは、お小さかったのだ…………
 蜻蛉切は向日葵を背にした同田貫を見つめ、その肩幅を目で測った。
 御手杵は自分より一回り細いが、その腕の中にすっぽり隠れてしまっていた。
 一人で荒野にたたずんでいると、あんなに大きく見えるのに……、と蜻蛉切はくちびるを噛む。
「頼むぜ」
 畑の中で、同田貫に胸を叩かれた。その手のひらも、自分のそれよりかなり小さい。
 彼の瞳を見ていると、意識が散逸することが多くなった。
 顎先で畑を指されて、頷いてしまう。
 違う、そうではない、畑を最後まで自分と……と、いう言葉が脳内に走ったが、また胸をバシバシ叩かれて、もう一度頷いた。
「あ…………同田貫殿、帽子をかぶってくだされっ!」
 彼は、左手に持っていた帽子に今気づいたようにビクッ、としたが、振り返りもせず、それをかぶって歩いて行った。
 正拳突きされていた腹がゲホッと噎せた。
 蜻蛉切の顔の下で、向日葵がゆらゆらと揺れていた。

[newpage]

 蜻蛉切の待ち望んでいた千子村正が、来た。
 そして、本丸に乱交を流行らせてしまった。
 もともとが、宗三左文字や平安組が派手にしていたので誰も憚りはしなかったが、村正がそれを拡大させたのは事実だ。
 長谷部が本丸の建物のそばにある茂みを全撤去するほど、あちらこちらで睦み合う者たちが続出していた。
 精鋭が増えた今、各自が絶えず出陣できるような布陣は組めない。内番もそんなに仕事は無い。ほとんどの者が暇でだらけるようになっていた、その時間を全部セックスに使うようになったのだ。
「本丸内を駆け回って障子や襖を破壊するよりはましだが……」
 と、長谷部も頭を抱えている。
「申し訳ないことにございます……」
 蜻蛉切も平身低頭だ。
「お前が悪いわけではなかろう。謝るな」
「我が眷属の行いによる、近侍の頭痛は、自分にも責任の一端があり申す」
「いや、出陣できないうさをそれで晴らせるようだから、困ってはいない。明らかに喧嘩は減ったからな。モノが壊れる数も激減した。俺が見たくないだけだ」
「戦略的に困っておられるわけではないのですか?」
「そうだ。たんに俺の好き嫌いだ。主も何もおっしゃらぬことであるし、日々の楽しみが増えたことは良いことだ」
 戦うために顕現されたのに戦えない。その鬱憤の方がひどかったのだ。
「一番うるさかった同田貫が静かになった。それが一番の救いだな」
「同田貫殿が?」
「村正が、真っ先に口説いたのが奴だったらしいぞ。村正派にはあれが気に入りなのかと、納得はしたがな」
「はい?」
「お前も、奴を気に入っておろう?」
「……はい……?」
「睦み合ってようやく、あやつは全員の顔を覚えたようだ。俺と鶴丸を間違えることも無くなった。
 だが、タマネギを切るのもいやがるようになったらしいし、わさびの味噌汁で噎せるようになった。ようやく感覚が開かれたのだろうと歌仙が言っていたな。それに」
 自分が、同田貫殿を気に入っている?
 長谷部が何か言っていたが、蜻蛉切はまったく聞いていなかった。
 あの、御手杵のように? かのかたをああ扱いたいと? まさか!
 蜻蛉切は、気がついたら自分の部屋に戻っていた。障子を背に、正座していたのだ。既に足に感覚が無い。日は落ち、静かだ。何時間そうしていたのかもわからない。
 何を自失していたのかと立ち上がろうとしたが、痺れた足が変な角度で曲がって畳に倒れ込んだ。戦場でこけるなど、命を捨てるようなものだ。咄嗟に両手をついたが、どうにも下半身が安定しない。ここまで体を痛めつけるほどの何があったのかもさっぱりわからない。
「何を無様な…………自分は一体、何を……」
「おうっ! 赤い槍ぃっ! いるかぁっ!」
 畳でのたうっていた蜻蛉切の返事を待たずに障子が開いた。
 同田貫の声なのは分かったが、蜻蛉切が息を呑む。
 彼は、全裸だったのだ。
 しかも、腹には既にそれが勃ち上がっている。
「おう、槍の! しようぜ!」
「なっ……ナニ……をっ……? あ……村正!」
 にやにや笑っている村正が、中に入って障子をそっと閉めた。その頃には、同田貫が蜻蛉切の帯が解いて袴を引きずり下ろそうとしていた。巨漢に潰されていた足は、未だ電撃拷問のように痺れていて、全身がうまく動かない。
「村正っ! 同田貫殿に何をっ! 何を吹き込んだのだっ!」
「HUHUHU……あなたがお気に入りのようだったので、そうできるようにしたのデスよ。感謝してください?」
「何を言っているのだお前はっ! ……同田貫殿っ! おやめくだされっ!」
「手を押さえろっ! 邪魔だっ!」
 同田貫の頭を握りつぶせそうな手が下帯を握りしめていては、さすがにそれ以上どうもできない。
「ハイハイ、人使いの荒い人デスねぇ」
 村正は、叫ぼうとした蜻蛉切の顔をまたいで体重を掛けた。怒鳴った口に己のモノを突っ込んで、突き上げる。陰嚢で鼻をふさがれ、先端で喉をうがたれ、窒息で一気に赤くなった巨漢が身悶える。固い両腕は村正を引き剥がそうとその腰に取りついた。同田貫がその太い足を肩に担いで腰を浮かせ、下帯を取り除く。
「萎えてるっ! これをケツに挿れんだろっ? 入らねぇよっ!」
「なめてあげてくださいよ」
「さすがにそれは嫌だっ!」
「冷静デスね」
「てめぇがこれをケツに挿れた方が気持ちいいって言うから来ただけだっ! どうにかしろよっ!」
「そうですよ。気持ちいいデスよぉ」
 村正に脛をなでられて、同田貫がへにゃりと腰砕けになった。彼の先端から透明な滴がピュッと蜻蛉切の腹に吹きつける。
 その間に、村正が蜻蛉切のを呑み込んだが、まったく、硬くなる兆しがなかった。
「あなた、強情ですね、蜻蛉切。あなたの愛しい人がここにいるというのに、抱きたいとは思わないのですか?」
「むぐっごっおおおおっっ!」
 蜻蛉切はまだ村正の腰で喋ることができる体勢にない。死ぬ寸前に半ばまで抜いてくれたが、呼吸するのに必死になっているとまた刺された。その繰り返しで、苦しさがましていく。
「めんどくせぇなぁっ!」
「何をするのデスかっ、同田貫殿!」
 同田貫が右手に自分の刀を召喚し、抜き身で蜻蛉切の足を貫いた。
 キラキラシャリン……
 あの、骨を破壊される美しい音が蜻蛉切の脳内に響く。
「勃った勃った!」
 同田貫が、自分の肘ほどもあるそれを手のこうでペチペチ叩く。
「Oh……蜻蛉切はそうだと思っていましたが、こんなに純粋なMデシたか……」
「これに油をぬって挿れりゃいいんだろ?」
 村正が持っていたそれを蜻蛉切の腰にぶっかけてすりあげる。
「その大きさに恐怖を抱かないあなたは偉大ですよ」
「壊れりゃ手入れで直るんだなしなっ! 戦できねぇ時間が灼く埋まりゃいいんだよっ!」
 自分のソコをその先端に合わせて、スクワットをするかのように腰を振り下ろす。
「最初はゆっくりっ!」と、村正が止める暇も無い。同田貫のそこは、見る間に赤くしたたり、畳を汚していく。
 そして、村正の悲鳴が轟いた。
 蜻蛉切に、噛み切られたのだ。
「ああっっ! イいっ! イいぜっっ! すっげぇっいいっ!」
 村正の指で散々ならされていたそこは、蜻蛉切の圧迫感で一気に追い上げられた。
「ゲホッゴホッッ……同田貫殿っ、止まってくだされっ!」
「ギャアアアアアアアァァァァァァッッッ!」
「同田貫どっ……の……っっむぐっ!」
 同田貫が、自分を拘束しようとした蜻蛉切の、足に突き刺した刀をえぐり回した。
「もっと腰振れよっ! もっとだっもっと!」
 激痛に痙攣する蜻蛉切の太い腰が同田貫を突き上げる。
 何度も同田貫が白濁を放ち、獣のように歓喜の叫びを上げた。
 なぜこんなことに……?
 戦場とも見紛うような血しぶきの中で、蜻蛉切も同田貫も失血で青くなっているのに、快感は続いていた。
 キラキラシャリン……と美しい音も響いている。
 ようやく止まった同田貫が、両手を蜻蛉切の腹についてゼイゼイと肩を揺らした。髪から直接、蜻蛉切の胸に汗が流れ落ちる。
 青くなった顔で、それでも熱にうかされた金色の瞳が蜻蛉切を見上げて舌なめずりした。
 青痣の浮かんだ自分の腹をさすって、血を吐きながら笑う。
 笑う。
「ここまで、てめぇの槍が俺の臓腑を貫いてるぜ…………」
 赤い舌を出して笑う、同田貫。そこから唾液とともに血もしたたっていく。内臓の出血が口にも溢れているのだ。
 ドックン……と、蜻蛉切の目の前が赤くなった。もっと大きくなったそれに、同田貫がアハハハハッ……と笑い声を上げる。
 その声に、蜻蛉切は最後の一線が切れたのを、見た。
 それに同田貫も甲高く笑って蜻蛉切の太い首に手を伸ばす。
「俺の脳髄まで貫いて見せやがれっ!」
「ウオオオオオオオォォォォォォォッッッッッ!」
 大砲のように蜻蛉切は怒号を発し、同田貫を押し倒した。同田貫の指が背中を引き裂き、そのたびにキラキラシャリンと音がする。
 なんと美しい…………
「貴殿はなんと美しいのだっ! 同田貫殿っ!」
 同田貫の熱い肉に包まれて、蜻蛉切は泣きながら彼をむさぼった。

[newpage]

 蜻蛉切と同田貫と村正が、長谷部の前で正座していた。
 うわ、同田貫くんの正座とかっ、珍しっ! と、長谷部の後ろで燭台切が笑いを噛み殺している。
「セックスするのはいい」
 大きなため息をつきながら、長谷部が訥々と諭す。
「手入れをすれば、血も消えるから、今回はそれもいい。
 手入れ代もお前たちの給金から引くから、資材が余っていたし、今回は許そう」
 もう一度大きなため息をついて、三人を睨み付けた。
「だが、お前たちが自分で手入れ部屋に入れるようにしろ。手入れ部屋に運ぶのに何人必要だったと考えているのだ」
 えっ? 長谷部君の怒りポイントってそこなの? と燭台切が、長谷部をまがまがしいものでも見るような瞳で眺める。
「じゃあ、手入れ部屋の前でする」
「それは許可せん」
「なんでだよ。なら這いずって入れるだろ」
「公共の場でセックスをするな。という触れは出している。人の目につくところでするな。手入れ部屋の前は茂みも全部撤去したし、もともとがあのあたりは空いている個室も無い。
 それより、血が出ないようにしろ。それだけで手入れ部屋自体が必要ではなかろう」
「……これって、なぜ私も連座させられているのデショウか? 私は純粋な被害者なのデスが……」
 立ち上がろうとした村正を、蜻蛉切が肩を押さえつけた。
「お前が、被害者の体を成すのは、許さぬ」
 座れ、という怒号を手のひらに感じて、村正はしおしおと座り込む。
「無論、怪我などしないようには気をつける所存。此度は、初めてのこともあり、加減がわかぬが故、無様を晒し申した。申し訳ないことにござる」
「お前、刺さなきゃ勃たねぇぜ」
 同田貫の、恥も外聞も無い一言が長谷部の額に血管を浮かび上がらせた。同田貫はただの無表情だったのだが、蜻蛉切には、とてもあどけない顔に見える。そして、幼子にえぐいことを言われた印象が沸いた。
 長谷部の大きなため息で我に返った蜻蛉切は、同田貫の金色の目に見とれていたことに気づく。
 以前から、たしかに同田貫の容姿は好ましかった。だがそれは、戦場でのあの燃え上がるような気炎故、と考えていたのだ。
 決して、昨日までの彼を見て『あどけない』などとは感じなかった。
 そして、自分が彼を『抱いてしまった』ことに罪悪感もある。衆道の弟にしてしまったことは、手入れ部屋から出て平身低頭謝ったが、同田貫は何も気にしていないようだった。
 大器なり……と、蜻蛉切は感服する。
『お前さぁ! 俺がタヌキ好きなの知ってていきなりナニしてくれてんだっ!』
 と、御手杵にも泣きつかれた。
『絶対抱かせてくれなかったのにっっっ! タヌキがあんなとこ怪我ってそういうことだろっ! お前のでかいのツッコんだんだろっ! くそーっ! タヌキの処女欲しかったのにーっ! まだ口説くからなっ! 覚悟してろよっ!』
 変な宣戦布告をどうしようかと考えている最中だ。
 同田貫がどう出るのか、まったくわからない。
 できたら、他の者には触れてほしくなかった。当然の独占欲だと、蜻蛉切は自分で納得している。
「長谷部殿にお聞きしたいことがあり申す」
「なんだ」
 無視すんな、と同田貫に肘鉄を入れられた。だが、微塵にも揺るがず、膝の前に両手をついて、蜻蛉切は長谷部をにらみつける。
 長谷部も返事はしたものの、大きく息を吸って、吐いて、咄嗟に逃げられるよう、わずかに腰を浮かせた。
「手入れをしていただいた直後ですが、何やら目の調子がおかしいのです。もう一度手入れしていただくことはできますでしょうか?」
「目がおかしい? どうおかしい?」
 由々しき事態だぞそれは、と、長谷部が手入れ部屋の様子を見に行かせる。
「昨日までは、自分の目に、同田貫殿はただ勇ましく、意気高く、豪壮ではるかに高い場所におられたように思うのですが…………」
 長谷部から同田貫に視線を移して、蜻蛉切がその大きな肩を落とす。同田貫も、蜻蛉切に肘を挿れたまま、彼を見上げていた。
 長谷部が眉を寄せるのと同時に、燭台切が、娘に初潮が来て喜ぶ母親のように顔を赤くし、まぁ、なんてことでしょう! と、両手で自分の頬に手を当てた。襖の向こうからもくぐもった声が聞こえる。
「今は、ただ………………その、金色の瞳があどけなく、美しく……………………」
 はらり、と蜻蛉切の瞳からしずくがあふれ落ちた。
 同田貫も目を見開いてそんな彼を見上げている。
 蜻蛉切の右手が、そっと同田貫の左頬に添えられた。
「胸が……痛うございます………………指が……溶けてしまいそうな………せっかく顕現していただきましたものを………………もう、昨日のような働きができるように…………思えませぬ……」
 同田貫は大きな手のひらに、そろりそろりと抱きしめられた。斜めになって、蜻蛉切の腕の中に隠されてしまったかのようだ。
 襖の向こうで、畳を連打する轟音が何度があがり、襖がカンっ! と、音を立てて開かれた。
「話は聞いたぜっ、蜻蛉切!」
 まるで、探偵モノドラマのクライマックスのように、大見得を切って鶴丸が現れる。その後ろに、短刀や祭り好きの者たちがわんさと覗いていた。
 まだはらはらと泣きながら、蜻蛉切が目を大きくして彼らを見あげる。そして、深窓のお嬢様のようにゆるりと頭を下げた。彼らも思わず深々とお辞儀をして、拍手する。一番そばで、口笛まで吹いて祝う村正だけが、蜻蛉切の重たい手のひらで畳に押し伏せられた。
「蜻蛉切、それが『恋』ってヤツだっ! お前は、同田貫が好きなんだよっ!」
 まさに発光するがごとしのましろな姿で、鶴丸が意気揚々と宣言する。
「コイ……でございますか?」
「おっと、魚の鯉じゃないぜ? 『いとしいとしと言う心』の方の恋だ」
 うんうん、と後ろでみなが首を縦に振る。
 不安なのだろう、蜻蛉切はどんどん同田貫を引き寄せて、彼はすっかり蜻蛉切の分厚い膝の上にいた。
 なんだこの状態は……と、長谷部一人が無言だ。なぜ同田貫はさからわぬのだ? その疑問に答えられるものはここにいない。
「お前さん、同田貫を好きなんだよ。恋しちゃってんだよ。だから、今のお前さんのその感情は正当だ。病気じゃねぇし、手入れでは直らねぇよ!」
「自分が、同田貫殿に、恋を?」
 もう胸の中にいた同田貫を蜻蛉切がうかがいみる。
 熱い手のひらと黒い袂でほぼ全身を隠されて、同田貫は眠り込んでしまっていた。
「こりゃまた自由な奴だねっ! こいつはまったくっ! この騒ぎの中で寝るかぁっ!」
「猫って抱きしめると寝ちゃうんですよね」
「確かに、同田貫は猫だな。自分勝手で、好きなことしかしない。飢えても尻尾延ばして塀の上をつらつら歩いてそうだもんな」
 ああ、最初に黒い袂で目を塞がれたから、逆らわなかったのか? まさか、そんな単純なことで? と、長谷部の疑問は尽きない。
「今日は赤飯炊きたいねっ! 長谷部くん、買ってきていいかなっ?」
「何の祝いをするつもりだっ!」
「あんなにとげとげしていた同田貫くんが、眠れるようになったお祝いだよ!」
 長谷部以外の全員が、燭台切のその思いつきに拍手をした。
「同田貫だけが、戦に出せ出せって、一人不幸だったもんね、最近」
「それは私の手柄デスよねっ! 私が二人をくっつけたのデスからっ!」
 ハラショー! と、両手を挙げて、村正が宣言した。それに拍手を受けて満面の笑みでコクコク頷く。それをまた、蜻蛉切の手のひらが畳に押さえつけた。
「お前が同田貫殿にいかがわしいことをお教えしたから、ここで長谷部殿に叱られるはめになったのであろうがっ! 反省しろっ!」
「同田貫殿の処女は守ってあげていましたのにっ! 褒めてくださいよっ!」
「しょじょ?」
「同田貫殿は、ちゃんと、未通者(おぼこ)であなたにお渡ししましたからねっ! 御手杵殿の追従がどれだけ凄かったと思ってるんデスかっ!」
 真っ赤になった蜻蛉切を見て、童貞は頂きましたけど、と村正が肩をすくめて笑う。
「お前たち、最初にした話を覚えているか?」
 ようやく、長谷部が口を出した。
「出血するようなことを、するな」
「それは無論!」
「ふぁっ!」
 蜻蛉切が前のめりに頷いたことで、同田貫が目を覚ましたらしい。蜻蛉切の顎を殴る勢いで伸びをして、斜めに長谷部を見上げる。
 お前はその体勢を苦しいとは思わないのか? と長谷部は問いただしたかった。
「もう行っていいか?」
「お前も、確約しろ、同田貫。出血するようなことをするな」
「無理だ」
「同田貫殿!」
「なぜだ?」
「だってこいつの、刺したら切れるし。多分、内臓もイったよな、あれは。口から血ぃ吐いたし」
 長谷部の柳眉が逆立ったことに、蜻蛉切が青ざめ、鶴丸たちが一歩引いた。
「まー…………なれたら切れなくなんのか?」
「なれたら大丈夫だと思いマスよ」
「じゃ、とっととなれるまでするとするかっ!」
「待て同田貫。話は終わっておらぬ。座れ」
「出血はしないようには気をつける。だが、したら仕方ねぇだろ」
「行為そのものをやめろ。とにかく座れ。まだ終わっておらぬ」
「さっさとやって、さっさと慣れた方が良くねぇか?」
「座れ」
 同田貫が、ため息をついてあぐらを組んだ。
「正座しろ」
 えー、と言うの睨み付けられ、蜻蛉切にも急かされてようやく、同田貫は正座した。長谷部が、大きなため息をつく。
「まず、お前が、蜻蛉切を刺すな。蜻蛉切も、村正を噛むな」
「ああしなきゃこいつ勃たなかったんだよ!」
「あれは不可抗力でございますっ! 長谷部殿っ!」
「そうデスよっ! もっと言ってやってくださいっ! 死ぬかと思いマシタよ!」
「お前は黙れ! 村正!」
「そうだぜ、村正! お前がああしろっていうからやったら、近侍に怒られたんだぞっ! お前こそ、俺のチ○ポもって廊下を引きずり回しやがって!」
「そんなことを同田貫殿にしたのかっお前はっ!」
「ワタシが痛くてうめいているのを無視して盛り上がったくせにっ! ワタシのおかげで二人はくっついたんでショウっ! 褒められこそすれ、くさされる筋合いがありマスかっ!」
 もう一言怒鳴ろうとした同田貫も蜻蛉切も、ややあって黙り込んだ。
 ソウデショウ! 私のおかげなのデスよっ! と村正が胸を張る。
「村正は、一か月禁欲しろ。近侍命令だ。それがいやなら、一か月座敷牢に禁固だ」
 エッ! と村正が反論する前に、長谷部は言い放った。
「蜻蛉切と同田貫は今回使った分の資材を遠征で集めてこい。罰則の一つであるから、旅費は給金から出せ」
 新婚の二人の騒動など本丸で聞きたくない、という長谷部の『恩情』だった。手入れ部屋がなければ同田貫も無茶をしないだろうという目論見もある。
 遠征から帰って来た二人は予想通り激しかったので、その最初の一か月ほどを遠征で追い出しておいて良かった、と長谷部は心のそこから自分の判断を褒めた。

[newpage]

「うわ、タヌキ、凄く良く寝てるねー」
 乱が、蜻蛉切の部屋を訪れてわふわふと畳にあがった。
 書見台に向かっている蜻蛉切の、その膝の上で、同田貫が丸くなって目を閉じている。
「熊本城におられた幼かった頃、武器庫で槍の兄君の膝でお休みになられていたそうです」
「そういやこいつ、自分より大きいやつらの中にいる方が機嫌よさそうだった。それでかー」
「あぁ、……それで、……ですな」
「何が?」
「自分が初陣の折、同田貫殿が一番小兵でありました」
「阿津賀志山は、あのころ短刀は入れなかったしねー」
「……そうでしたか」
「うん。かなり強かったからねー。敵が。僕たちも極めたらようやくいけたから。タヌキも良く重症帰還してた。それでも手入れ部屋から出たら即効出陣したがるし、いつ寝てるのか、……寝たとこ、見たことなかったなー。かわいい顔して寝てるねっ!」
「同田貫殿はいつでも愛らしいですぞ!」
 言ってしまってから、蜻蛉切は同田貫が起きていないか確認した。
 これは、同田貫殿には内緒ですから、と口元に人指し指を立てる。もちろん蜻蛉切も、同田貫に面と向かって『かわいい』などという見下げたことを言う口は持っていない。ただ、愛らしく見えるのは仕方がないのだ。
「うあー」
 同田貫が、蜻蛉切の腹に頭突きをするかのように起き上がった。その腹筋を確かめるかのようにゴンゴン、とまだ突進する。
 もちろん、蜻蛉切は微塵にも動かない。
 乱なら最初の頭突きで庭の端まで吹っ飛ぶだろう。
「あんたたち、ほんと…………いい感じにくっついたよねー」
 同田貫の乱暴なスキンシップに耐えられるのは、蜻蛉切と岩融ぐらいのものだろう。御手杵でもかなり痛いはずだ。
 それがあるから自分たちに近づかなかったのかも、と乱は一人頷いた。

 [newpage]

 蜻蛉切が今日一番の誉れを取って帰還したとき、門の前で乱たち短刀が花を持って騒いでいた。
 畑の裏に、山百合の群生を見つけたらしい。乱や五虎退が髪に挿して楽しそうに笑っている。百合と言って想像する白いものではなく、海老茶にも近い朱色だ。
 錬度が違うとはいえ、鍛練で追い上げてきた御手杵を押さえての誉れだった。蜻蛉切は間違いなく最高の気分だ。
 あの赤い百合を同田貫殿に捧げて、その中であの体を抱きしめたいものだ。
 ふと、そう思い付いて笑ってしまった。
 帰還の挨拶を済ませてから、短刀達に花を譲ってくれと頼んだら、全部渡してくれたので、慌ててそれらを抱き留める。
「うわぁ、僕たち三人でようやく持ってたのに、あんただと、一抱えだね!」
 まだ百合を髪に挿している乱が、蜻蛉切の腕から一輪抜き取った
「タヌキにさ……」
 乱がそれを蜻蛉切に差し出す。
「『あなたは自分の誉れです』って、これ、捧げてみるって、どう?」
 抱えている百合より真っ赤になった蜻蛉切に、短刀達がやんやと笑いだす。
「花を、差し上げて…………喜ばれるでしょうか?」
 同田貫に一輪だけ渡す、というのは蜻蛉切の慮外だ。
「それは、あんたの言いようじゃないの?」
 たしかに……と、蜻蛉切は頷いた。
 ただ、これは自分が手間をとって摘んできたものでもなく、色以外に蜻蛉切は価値を見いだしてはいなかった。
 それは自分の心を同田貫に捧げる良い案だが、するのならば、自分が山野から摘んできたい。乱の意見は有り難く頂戴するが、またの機会に、と深々と礼をした。
 蜻蛉切と同田貫は、長谷部がくれた離れで住まいしていた。この離れには、他にも番いになった者たちがたくさんいる。とにかく、本丸の、俺に聞こえるところでだけはするな、という長谷部の恩情だ。
 その中で蜻蛉切と同田貫に割り当てられた部屋に、同田貫が昼寝していた。内番で汚れた服を井戸のそばで脱いで水浴びをしたのだろう、褌一つで縁側に大の字になっている。本丸に住まいしたときに、褌だけはつけろ、と長谷部に何回も注意されたからだ。縁側の下の砂に血が落ちていた。だが、同田貫からはそのにおいがしない。スニーカーの跡がある。ちょっかいをかけてきた御手杵に頭突きでもしたのだろう、と蜻蛉切は捨ておく。
 同田貫をまたがないように縁側に上がった。押し入れから片手で布団を持ち出して畳に開き、百合をそこにぶちまける。同田貫を抱き上げて、その中に横たわらせた。
 おお……美しい…………
 自分の見立てに満足して、蜻蛉切も服を脱いだ。
「んぁ?」
 同田貫が無意識に肘をつっぱったので、それを左手で押さえながら、蜻蛉切は囁く。
「自分です、同田貫殿」
「……ぁあ………………また御手杵かと思った……」
 同田貫はむにゃむにゃと手を下ろして、ごろんと左を下にした。鼻先に百合があって、その花粉にくしゃんくしゃんっ、と起き上がる。
「なんだこれ?」
「短刀連がはしゃいでいたので、譲り受け申した」
「食うのか?」
「毒では……ないとは思いますが………」
 同田貫は健康的な肌色であって、決して白くはない。だが、後ろに山百合の橙を置くと、対比で白く見えた。
 寝ぼけまなこのあどけなさとがまって、やたら愛らしく見え、蜻蛉切は自分の思いつきの素晴らしさにまた頷く。
 戦の時、蜻蛉切の腕の中に居るとき。
 この向こう傷がこの山百合の色に燃え上がるのだ。
 そう、後ろに百合を置いて同田貫を白く、愛らしく見たい、などというのではなかった。
 この百合の色に、同田貫のその熱した色を思い出して自分が猛ってしまったのだ。
 今では、同田貫に自身を入れるときに、キラキラシャリン……と、あの美しい音を聞くようになった。
 同田貫と一心同体になったから、彼が身を切られると自分が痛んでいるのだろうか?
 そうも錯覚する。
 嘆いて良いのか、笑って良いのか迷った蜻蛉切の耳に、同田貫がその百合を差した。
 耳の上がひんやりしたのに、蜻蛉切は目を見開く。耳に引っかけただけだが、重たい百合の頭はどっしりと落ちる気配がない。
 先程、乱が刺していたあの絵面を思い出し、それを自分で置き換えて、蜻蛉切は真っ赤になった。
「何ゆえ?」
「なにゆえ?」
 烏滸がましくてすぐに抜きたかったが、同田貫がしてくれたことだ。
「乱のやつが、綺麗な僕に綺麗な百合、って言ってたから、綺麗なお前に綺麗な百合、だ」
 蜻蛉切は、自分の体が四散したかのような爆裂感を味わった。
「…………じ……ぶん、が…………綺麗、……だと?」
「お前は綺麗だろ」
「何ゆえ?」
「なにゆえ?」
「何ゆえ…………そう、思われました?」
 『綺麗』だなどと、同田貫の語彙にある言葉とは思えなかったのだ。さしずめ、先程の乱のように、同田貫に耳打ちした者が居る筈だった。
 自分に何かしてくれたことだけでも嬉しいが、その真意がどこまでわかっているのか、と勘繰らずにはいられない。村正が、からかい目的で何かを言ってる可能性も捨てきれないのだ。それで喜んでは、あとで悔しすぎる。
「誉れを取ったお前は、綺麗だろ」
「『綺麗』の……意味を、御存じで?」
「……いいことだろ?」
 やはり……『褒める言葉』としてしか認識してはいらっしゃらないようだ。
 蜻蛉切は少し落胆した。だが、『褒める』意志があることは間違いないのだから、嬉しいのは嬉しい。
 以前なら、同田貫からこういうことをされると跳び上がって喜んでいた。だが、同田貫は羞恥心が無いので、『しろ』と言われればすることがあるのだ。
 その大半は『これをしたらトンボが喜ぶよ』という乱たちの注進でもあった。たしかに喜んだので、嬉しいが、同田貫はその真意を知らないままのことが多い。
 最近では、その真意の方を、理解してしてほしい、と望んでしまっていた。
 同田貫が、『自分が喜ぶと思ってしてくれていること』そのものは、嬉しいのに、その上を望んでいる自分に嫌気が差す。
「お前は、美しいぞ、蜻蛉切」
 同田貫の傷だらけの手のひらが、蜻蛉切の頬を撫でた。
「俺が、言葉が巧くないからお前を残念がらせたことが多いと聞いた。お前が喜ぶと言われたから、した。その意味を知らずにしたことも多いが、お前が喜ぶと言われたから、したんだ」
 なんて素直なのだろう、このかたは……
 蜻蛉切は胸が痛くなった。
「迷惑だったか?」
「いえっ!」
 これだけは、寸暇を置いてはいけない。間違えたと、彼に思わせてはいけない。脊髄反射とも言える速さで否定する。
「貴方様がして下さることは、どのようなことであっても、自分には、喜ばしいことです」
 その時の心をなんと表せば良いのだろう、と蜻蛉切は泣きたくなった。
 同田貫が、笑ってくれたのだ。
 いつもの、大口を開けて敵に突っ込んでいく、威嚇のようなそれではなく。
 薄く口を開けて、目を細めて。
 まさしく、幼子が初めて笑ったかのように。
「良かった」
 吐息のような小さな声。
 彼にはそぐわない、優しい声。
「お前、良く泣くよな」
 頬を拭ってくれるその指が、優しい。
「悪いことをしたのかと……」
「あなたさまが、自分に悪いことをしたことは、一度もありませぬっ!」
「なぜ泣く?」
 他人のことを、自分のことを慮ってくれるようになった証だから嬉しいのだ、と蜻蛉切は説明できなかった。
「あなたさまがこうして自分を見てくださるのが…………嬉しいからです」
 簡単な言葉で言わないと通じない同田貫。
 難しい言葉を告げると、それだけで興味をなくして、ただ、体だけを求めてくる。
 御手杵と寝ている様子は無いので自分だけのようだ、と安心するしかできなかった。
 ちゃんと、彼は、『自分が喜ぶ』という実感をもって、色々な事をしてくれていたのだ。
「お前の言うことは、わからねぇことの方が多い」
 同田貫が、どうにか自分と意思疎通をしようとしてくれている。この幸運はなんだというのだろう! と、蜻蛉切は涙が止まらなかった。心拍数が上がって、耳元で心臓が鳴っているようで、同田貫の声に必死で耳を済ます。
「教えてくれるか?」
「はい……なんでも…………」
「俺がここにいることが、お前は嬉しいのか?」
「はい」
「俺がお前を見ていることが、お前は嬉しいのか?」
「はい」
「でも、お前を見てたら、お前とセックスできねぇぞ?」
「…………なぜですか?」
「腰がくっつかねぇ」
 ああ愛らしい……間抜けな答えに胸が疼いた。
「貴方様とできることそのものも嬉しいので、それは大丈夫です」
 つまりは、蜻蛉切が嬉しいことだけをしたい、と言ってくれているのだ。
「そうか……」
 また、同田貫が笑った。
 幼子のように、笑った。
 ああ、なんてあなたは愛らしいのですかっ!
 思わず抱きしめた蜻蛉切は、同田貫の背中に当てた手で、感じた。
 彼の鼓動も、とても速いことを、大きなことを。
「お前、すげぇ汗……」
 既に上は脱いでしまっていたので、背中にぺったり手を当てられると、蜻蛉切は跳び上がる。汗で冷えている肌に熱い手のひらが添えられたのだ。そこから燃えてしまいそうだった。
 うっすらと、同田貫の肌も汗ばんでくる。
 彼も、興奮してくれているのだ。自分といることに。
「俺はお前のことが、好きだぜ? 蜻蛉切」
「それは……どなたから言えと言われました?」
「乱だ」
「はい……」
「嬉しいか?」
「好きだと、言っていただけることは、とても喜ばしいです」
「好きだ、がいいのか?」
「その言葉は誉れの一つ故」
「……誉れなのか? 好き、ってぇのが?」
「はい」
「俺が、お前に誉れをやって、いいものか?」
「………………はい……」
 なぜそこで疑問が? と、蜻蛉切は同田貫を押しはなした。
 彼は、薄く赤い顔をして、不安そうに蜻蛉切を見上げている。
「何が不安ですか?」
「不安?」
「怖そうな、顔を、してらっしゃいます」
「怖そう? ………あ……ああ、近侍でも、国宝でもねぇ俺が、天下三名槍のお前に、誉れなんて、やって、いいわけねぇ……とは、」
「どうしてですかっ!」
「えっ?」
「あなたさまに頂く誉れこそがっ、自分には、最高に嬉しいこの世の至宝にございます!」
 金色の目がこぼれそうなほど蜻蛉切を見上げている。
「あなたさまに頂く誉れが、自分は、一番嬉しいですっ!」
 もっと簡単な言葉で言い換えたからか、その顔がにっこりと笑った。
 ここまで簡単な言葉しかわからないものか! と、蜻蛉切は激しい動悸の合間に気づいた。
 成り上がりだなんだとけなされることが多かったので、努めて漢語を使うようにしていたのだ。それが、同田貫と会話するときの障壁になっていたなどと、と驚く。
 だが、結局は、自分のそれは見栄を張っていたのだ。それを脱げば良いだけのことだった。
 ああ……軽い……
 同田貫を前にして、ふわりと体が浮いたように感じた。
 『三名槍』の名が、重たかったのだ。
 日本一の槍に並ぼうとしていた、その努力を、今後も続ける気では居るけれど、彼の前では必要ないのだ。
「自分は、あなたさまに、もっと、褒めていただきたい。そのために、もっと働きたいのです」
 同田貫の目が、蜻蛉切の顔から腰に落ちた。
 先程押しはなしたときに勃ってしまっていたのだ。
「……いつも、いいハタラキだぜ?」
 とたんに、同田貫はぬめった瞳で口接けてきた。
 この、突然雰囲気が変わるのも、最初は驚いたものだ。
 戦場の気炎のまま、殴り倒してまたがってくることもあれば、寝ぼけ眼のまま、ふにゃふにゃといつまでもやわらかくいて、きゃっきゃっと笑うこともある。
 そして、今のように、『したい』が前面に出たときの、この、艶姿。
 いつもは何度も突き上げてから、興奮してようやく赤くなるこの向こう傷が、最初から、燃え上がるよう。
 猛った自分をこすりつける、その腰の動きの淫靡なこと。
「好きだぜ? 蜻蛉切」
 特に手入れをしていない、ささくれだった指で雄をなでくりまわされる。
「コレ……も、好き……」
 胸をこすりつけられて、既に固くなっている乳首がコロコロする。そのこそばゆさに、蜻蛉切は先走りを吹き出した。それをぬりのばされ、顎から口元まで舐め上げられて、彼の息のにおいに目眩が襲う。
 いつの間に押し倒されたのかもわからず、銜え込まれた熱さに吠えた。
「その声も、好き……」
 全身を撫で回される。胸筋の谷間から喉仏までなめ上げられ、頸動脈の辺りに吸いつかれた。ビクンッ、と腰が震えて、んっ……と彼が息を漏らす。その甘さに、その腰を押さえて突き上げた。
 蜻蛉切の掌で一掴み程しか無い腰だが、丈夫な太い骨に分厚く筋肉が巻いていて、危なげをまったく感じない。蜻蛉切が力一杯抱きしめても、ゆったりと寛いでくれる頑丈な身体。
 こんなに小さいのに、強度は自分と似たようなものなのだ。否、歴戦の分、もっと、強い……
 これが乱だったらどうだろう、と想像して、蜻蛉切は咄嗟に同田貫から手を離してしまった。
 あの細い体を、こんな強く抱けるわけが無い。
「ぐっ……」
 同田貫に首を、締められた。
「イマ、他の奴のことを考えるたぁ、余裕だな、三名槍………………」
 もっと前のめりになって、首に体重をかけてくる。
 キラキラシャリン……とさんざめく。
 肉にもっと締め上げられて、どちらが締まっているのかわからなくなった。
「ハハハッ! 跳ねやがるぜっ! お前、本当に、イ……い…………」
 顎先をかじられた。肘が曲がったことで首への圧迫が軽くなり、蜻蛉切は大きく息を吸う。それを許さない、とばかりに同田貫が状態を上げて、腕を首に突っ張った。
 蜻蛉切の顔が赤くなって、口が開かれて、舌が突き出されても、なお、締める。それでも彼は同田貫の手を止めようとはせず、布団を握りしめ、自由な足から腰に痙攣が走った。
「ははっ…………そうそう、もっと踊れ」
「がっあっ…………ぐっぁっ…………」
 瀕死の蜻蛉切が自分の中で跳ね返る。腹側を打ちつけてくる。そのたびに、同田貫は先走りを吹き出して舌なめずりした。
「そら…………もっと踊れっ!」
 腰を浮かして首に体重を掛けられ、蜻蛉切の視界が真っ赤に染まる。浮いた腰を引っ掴んで自分の腰を打ちつけた。
「っっっ!」
 予想外だったのか、同田貫の体がのけぞって、手が首から離れた。
 一瞬で息を吸い込んで、蜻蛉切はその体を突き上げる。
 そのたびに、彼の先端から白濁が吹き出し、全身の傷が真っ赤に、ややあって、その他の肌も赤くなって行った。太い両手が自分の頭を抱え込み、天に向かって舌を突き上げる。
「あっ………はっぁっ……っ! イッ……イイイッッッ!」
 傷の腕が蜻蛉切の膝をつかみとめ、蜻蛉切の動きを全身でとらえようと身構える。イいところを蜻蛉切について貰おうと腰をひねる、その動きがなんと卑猥なことか。
「もっとっ……ソコッ! あっっアアアアアアアァァァァァァッッッ!」
 照れも焦燥も無い声で喘いでくれる、その姿が好きだった。隠されれば、いらつくのは目に見えていたのだ。
「自分も、好きですっ! あなたさまが、好きっ……ですっ! 同田貫殿っ!」
 彼の、哄笑を、蜻蛉切は聞いた。
『蜻蛉切、せめて同田貫を笑わせるな』
 何度、そう言われただろう。うるさいとは前から言われていたが、同田貫のその笑い声で気がそれるらしい。
 たしかに、自分も最初は驚いた、と蜻蛉切も思う。
 けれど、楽しそうなのだ。
 気持ちよさそうなのだ。
 戦場で、敵をなぎ払うその顔で、笑っている、同田貫。
 敵を斬るときに彼は笑うのだ。
 その顔で、喘ぐのだ。
 戦もセックスも、彼にとっては身内を熱く燃え上がらせる快感でしかないのだと、蜻蛉切はとても納得する。
 知らなかったから禁欲的に見えただけだ。
 村正に教えられて、いともかんたんに同田貫は肉欲の世界に溺れた。何一つ隠さず、自分の快感を追求して躍り上がる。
 突き上げが強くなるごとにそれは大きくなり、イッた瞬間に舌を突き出してのけぞって倒れるのだ。この時に抜かないと、後で蹴り倒される。触られたくないらしい。
 よだれをたらして、泣き狂ったあとの、だらしない顔、ではあるのだけれど、それがまた、蜻蛉切の腰を熱くさせた。痙攣する様も哀れで、ドクンと心臓が高く打つ。自分が舌なめずりしたことを知って、蜻蛉切はいつも口を手で押さえた。
 断末魔に倒れたかのように、見えるから。
 ああ、もしかして自分はこのかたを自分の槍で殺したいのだ。
 そう気づいたときのあの愉悦。
 そうだ。
 最初に彼から殺されかけた。
 あれが、彼から受けた『愛』だった。
 初めての彼からの接触は『死』だった。
 あれだけ気を張って自分の身を守っている彼が、自分の前でこんなに無防備でいてくれることの愉悦。
 首に、こんなに手のひらを近づけても、彼はまったく逃げない。
 自分だけが、彼を、殺せる。
 彼も、キラキラシャリン……と、あの美しい音を聞いてくれるだろうか?
「……ぁ………ふっんっ…………アハハハッ!」
 一度目の絶頂から復活した同田貫が、蜻蛉切の顔を両手で撫で繰り回して笑う。
 その顔を引き寄せて噛みついてくる。呼吸がどこまで続くかなど考えもせずに、ただ、深く、奥まで貪ろうとかじりついてくる狼。一番巧いところはどこだ? と。一番熱いところはどこだ? と、探し回って、蜻蛉切が答えると、背中に立てた爪で皮膚を引き裂いてくる。
 引き裂こうとしてそうしているのではないと、乱が同田貫に聞いていたことを、蜻蛉切は思い出す。余りに蜻蛉切の背中が酷いので、彼の方が心配になったらしい。
 死地で石段にぶら下がっているときに、石段が傷つくことを考える者はいない。同田貫も、正気であれば、わざとに蜻蛉切に斬り付けるような事は一度も無かった。ただ、必死、なのだ。蜻蛉切の突き上げに。
 そのためにすがりつかれているのだ。たとえ傷つけられようとも、何を厭う必要があるだろうか。
 自分に、必死に、なってくれているのだから。
 キラキラシャリン……と妙なる音を響かせながら、閻魔の哄笑とともに、腰を擦りつけてくる愛し人。
 噛みつくように口接けながら、もっと猛らせてくる。
 今度は蜻蛉切が押し倒して、自分の体重で突き上げた。
 そのときの、彼の断末魔に似た絶叫が、また心地よい。
「それっそこっ…………っっっっっ」
 気持ちよいところを教えてくれる、その素直さが愛おしい。
 それで悶絶する彼も愛らしい。
「もっとっ……もっとソコッ! アアアアアアアァァァァァァッッッ! っっっ! たまんねぇっ! もっとだっもっとっ!」
 なんとあなたさまは美しいのか……
 全身の傷跡を百合より赤く燃え上がらせて、同田貫が絶頂の末に失神した。
 笑いが凍り付いた寝顔。なんて幸せそうなのか。
 それを彼に与えているのが自分だという、この晴れがましさ。
「村正、障子を開ければ眉間を貫くぞ」
 蜻蛉切は、同田貫から視線を外さないまま、槍の切っ先だけを顕現させて右手に構える。
 塚が在れば長くて部屋の中では使い物にならないが、刃部分だけならば、日本刀より少し長いぐらいだ。
「……もう一度、同田貫殿の今のお顔を見せてくださいよー」
「ふざけるな」
「天井のかたは良いのですかっ!」
 天井裏に短刀達が居ることは前からわかっていた。彼らはこの離れの全員の濡れ場を見ながら、そこで乱交しているのだ。それを止める者は、この離れにはいなかった。
 短刀に楯突くと、この本丸では生きていけない。
 それに、彼らは同田貫に手を出そうとはしていないのだ。
「お前も、天井から見ていろ」
 黙っている分には黙殺してやる、と蜻蛉切は取り合わなかった。

[newpage]

「うっわ……ナニこれ、凄いきれーっい!」
 万屋への買い物の、荷物持ちに駆り出された蜻蛉切は、乱が店頭の何かに釘付けになっているのに寄り添った。
 丸く透明な球の中に、角を生やした白い馬や草原が作ってあり、それを逆さにして台に置くと、銀色の何かが雪のようにゆっくりと舞う。たしかに妙なる置物だ、と蜻蛉切も見入った。
「舶来の『すのーぐろーぶ』って言うんだって。凄いよね、これ! どうなってるんだろうっ!」
「入手なさいますか?」
「こんな高いの買えないよーっ!」
「では、自分が乱殿にお贈りいたしましょう」
「マジで?」
 乱から真正面に振り返られて、蜻蛉切は少し腹の中で笑った。いつもオシャレだ綺麗だを気にしている彼が、まったく素の顔だったからだ。
「同田貫殿は別段、金目のものを欲しがるかたでもありませぬし、自分もそうですので、給金はいかほども使っておりませぬ。いつもお世話いただいておりますお礼とでもお考えください」
「…………天井からは、覗くよ?」
「それはもう……おとめだてする何もありませぬな」
 あの時の同田貫を嘲笑しているのならば万死だが、彼が感じていることで自分たちも感じるから、という理由ならば、別段蜻蛉切は構わないのだ。村正のように、あの時間を邪魔しに来るわけでも無い。もともとがあの離れは二四時間色事の喘ぎ声で満ちているのだから。
「何か、してほしいことがあるんでしょ? ナニ?」
 乱が、一緒に来ていた短刀達から離れて歩きだす。特に、御手杵から、離れたことで、心を読まれていることに気づいて蜻蛉切は頷いた。この聡さがなければ短刀を率いてはいられないのだろうと納得する。
「あの舶来品は御不要なのですか?」
「持って返っても愛染が割っちゃうよ。見たいときにここに来るので間に合ってる。で? 何をしてほしいの?」
 モノで懐柔しようとした自分を、蜻蛉切は少し責めた。
「御手杵殿に念者を紹介していただけませぬか?」
「あー……」
 乱が、すくい上げるように下から低い声を上げて、笑った。
「ナニ? もう限界?」
「……いえ。同田貫殿が歯牙にもかけていらっしゃらないので、心配はしておりませぬが、通らぬ恋をしてらっしゃることが、不憫でございましょう?」
「ふんふん。あくまでも、ギネが不憫なんだ?」
 クスクスクスクスクス……と、笑われて、蜻蛉切は一つ咳払いをする。
「でもねー……タヌキみたいな奴、他にいないしねー。
 タヌキ好きになったなら、宗三とかボクとかじゃないしさー」
「………………それもそうですな……」
 同田貫の代わりになる者、など、蜻蛉切とて想像できない。
 村正が連れてきてくれていなければ、今の状態になってはいなかった。蜻蛉切から同田貫を口説くことなどあるはずもなかったのだから。
 御手杵自体は、脇差しや日本号から口説かれているし、セフレとしてそれらと関係もある。だが、同田貫への色目をやめないのだ。最近はとみに、蜻蛉切の前でも口説くようになってきた。キスしようとして同田貫に半死半生にされてはいるが、いい加減、うっとうしい。
「あんたが気にするのは、御手杵より村正でしょ。もうちょっと優しくしてあげなよ」
「………そう……ですな……………それは、そうですな…………はい」
 変にこじらせて、本当に割って入ってきても煩わしい。
「今度、天井裏に村正を呼んでやってもらえませんでしょうか?」
「そうきたかっ!」
 乱が腹を抱えて笑っている。
「他に、何かございますか?」
「あんたのその、熱い外見からクールビューティーな口調で、そういうのが出てくるのが面白くてたまらないっ! こっちがお金払ってでもからみたいよっ!」
 もう乱は腹を抱えてヒーヒーと泣いている。
「自分は、『熱い外見』なのでございますか? いかように?」
「だって、髪が赤いしっ! 性欲有り余ってるの一目でわかるしっ! 男のセクシーさむんむんじゃんっ! 暑苦しいよあんたっ! 顔と声と、喋り方はクールビューティなのにっ! 体が暑苦しいよ! 顔綺麗なのにさーっ!」
「…………それは、いけないことでございましょうか?」
「面白いから、全然OK!」
 キュピーンッ! と効果音が入りそうなほど派手なウインクとサムズアップで頷かれる。
「同田貫殿から見ても、そうでございますか?」
「あいつがそういうの気にするわけないじゃないっ!」
 バシバシ背中を叩かれて、紅葉がたくさんついた。
「実際、ギネだとタヌキは余るんじゃないかと思うんだよねー。あいつ、性欲、実際は薄いんだよ。毎日したいわけでも無いしさ。ただ、その分、本当にタヌキが好きなんだとは思うけどね」
 それが問題でございますなぁ……と、蜻蛉切も頷く。
「タヌキと一度やったら、飽きられると思うよ。あいつの性欲についていけるの、あんたぐらいだからさー」
「……そうなのでございますか?」
「そうだよっ! 凄いよっ! ナニ言ってんのっ! あんたほどの性欲魔神いないよっ! タヌキ失神させてもまだ起きてるあんたはホント凄いよ。というか、タヌキが失神してるのが凄いっ! あいつ、ボク達短刀全員失神させたってまだ元気なんだからさっ!
 だから、あんたがタヌキで足りないと思う日が来るんじゃないかと思うんだけど?」
「そのようなこと、あるはずござらんっ!」
 性欲魔神に突っ込みたかったが、そこは棚上げにした。
「そう? タヌキが先に失神して、もうちょっとしたいと思わないの?」
「寝てらっしゃるのに?」
 真顔で問い返されて、乱はハイハイと頷いた。
 同田貫は他ともセックスをしたことがあるが、蜻蛉切は同田貫だけだ。同田貫が求めなければもっと早くに鎮静化するのかもしれない、と乱は思う。
 乱交魔の異名を取っている乱としては一度蜻蛉切を食ってみたいのだが、手が出せないでいるのだ。そして、それが成る前に彼に気づかれれば、近寄っても来なくなるだろう。その潔癖さもかわいらしい。
 蜻蛉切に媚薬でも盛ってみる? 杵に持ちかけてみようかな。タヌキが失神したあとでも熱かったら、誰かに手を出すかもしれないし……愛染に渡して、杵に流せば、ボクからだって、蜻蛉切にばれない可能性もあるし……
 蜻蛉切が顔を上げたことで、乱は後ろを見た。その前に、ぽん、と頭に大きな手が置かれる。
「いつも助かってるぜ、乱」
「同田貫殿、鍛練の最中ではありませんでしたか?」
「お前が万屋に出たって聞いたからな、」
 ちょっと顔貸せよ、と人指し指で呼び寄せて歩いていく同田貫。その最後までポンポン、と乱の頭を撫でて行った。
 蜻蛉切が連れて行かれた先は簪屋だ。
 鼈甲の玉がついたものを渡された。差してみろと手で示される。髪止めをほどいて、長い髪を全部頭頂に留めた。
 風呂に入るときや、着替えるときにそうしているのだ。いつもは、木の箸を使っていた。台所で、片方が無くなったものがマドラーとしてまとめられているので、その一番簡素なものを貰ったのだ。
「これ、くれ」
 蜻蛉切が髪にそれを差した時点で店主が揉み手でそばにいた。
「このような高価なものを!」
「金なんざ使わなきゃ意味ねーだろ。懐紙ぐらいしか買わねーんだからさ」
 会計を終えたら、同田貫は素早く店を出た。もともとが狭いところに長い間居るのが嫌なタチなのだ。
 店の外で手足を伸ばして深呼吸した彼が、追いついてきた蜻蛉切の胸をコツンと叩く。
「風呂で絡まれたら、それで突き刺してやれ」
 金色の目が笑っていた。
 御手杵が、同田貫の裸を見たいから風呂の時間を合わせているのだ。それを蜻蛉切が遮るとたしかにからまれる。同田貫は気にしてくれていたらしい。
 木に鼈甲を留め付けているのではなく、鉄の芯だった。確かにこれなら刺さるだろう。
 箸でも、蜻蛉切が振るえば眉間を割る事はできるが、鉄なのは明確な意志だ。
「お前っ! みんな裸の風呂場でっ、武器持って入るとか反則!」
 『鉄の簪』に真っ先に反応したのは、やはり御手杵だ。今までの木の簪でもたまに何か言っていた。だが、和泉を筆頭に、髪が長いものは簪で上げているので、それ以上言わなかったのだ。
 今回はさすがに、脱衣所で、蜻蛉切が髪を上げるために出したそれを目ざとく見つけて、止めに来た。
「鉄は駄目だろっ! 大体、風呂なんかに持って入ったら、錆びるぞ!」
 『錆び』に敏感なのは、刀の全員がそうだ。そこにのみ注目して言葉にした彼は、わざとなのか、無意識なのか、脱衣所にいた者たちを集めてしまった。
「確かになぁ、風呂で使う目的で鉄の簪は不似合いだよな」
「前にお前、何でとめてたっけ? 箸使ってなかったか?」
「錆びたら髪も痛むよー」
「トンボのことじゃき、上がったらすぐ拭くじゃろ。そんなすぐに錆びんなが」
「同田貫殿が今日、買ってくださったのです」
 蜻蛉切が晴れがましそうな笑顔で告げたので、みな、御手杵を一瞥して、散った。
「えっ? ナニっ? そんな問題っ?」
「はっはっはっはっ! 諦めろ、御手杵っ! タヌキが自分の念者をお前から守るために武器をやったのだ。これ以上絡むと、刺されるゾー?」
 岩融が御手杵の頭をポンポンして風呂に向かう。
 それと入れ違いに同田貫が出てきたが、御手杵を見て、ピシャンと曇りガラスの戸を閉めてあちらで立ち止まっていた。蜻蛉切が、同田貫が持ってきていた浴衣を持って戸口に向かう。もう一度戸を開けた同田貫が、広げられた浴衣に手を通して、帯を締めながら歩いて来た。まったく御手杵から同田貫の肌は見えない。
「ナニソレッ! なんでっ! 正国っ! 今までそんなことしたことなかっただろっ! 濡れたまま浴衣着るなよっ! 風邪引くぞ!」
「俺が気にしなかったからお前がつけあがったと言われた」
「誰に!」
 同田貫が返事もせず脱衣所を出て行く。蜻蛉切は、陸奥に肩を叩かれながら風呂に入った。
 御手杵は全裸のまま、同田貫を追って廊下に出たところで、長谷部に押し返される。
「全裸で脱衣所から出るな」
 ああっ! せめて浴衣生ケツの正国の後ろ姿をー! と、心の中で叫ぶ御手杵。そこを、烏の行水で上がってきた蜻蛉切が浴衣を着て出て行った。

[newpage]

「どなたに、御手杵に肌を見せるな、と言われました?」
 部屋に帰った蜻蛉切は、同田貫の頭をタオルで拭いた。
 そうしないと、同田貫は犬のように頭を振ったままで終わるからだ。枕の芯まで濡れて、黴たらしく、臭くなったので捨てたのだ。
「陸奥だ」
 陸奥殿は御手杵と仲がよいのに? と、蜻蛉切は疑問に思った。
「お前さぁ……」
 タオルの下で同田貫が振り返る。
「いつまで頭拭いてる気だ?」
 蜻蛉切は、豆絞りのタオルの合間にある金色の目に微笑んだ。ボッサボサの髪を手櫛で後ろに梳くと、丸い額が現れたのでチュッとキスをする。
「そこじゃねぇっ」
 殴る代わりに股間を握られて、うるさいおおもとを塞いで抱きしめた。

 

 


 ↑ ここまでが原稿

これで完成。

pixivタグとかフリガナ入れました。

 

冒頭が決まったのはココ。

一つ前とはちょっと変えてます。

 

『最初の一行』が決まるのは、こんなあとでいい、ってことです。

 

小説は『テキストの集まり』なので、

どんなふうに書いても、ラストで一本に整えればいいんです。

 

気楽にネタをたくさん書き留めて

ネタの前後を思い付いたら、そこから膨らませて

つまったら放置して、他のネタを膨らませ

何も思い付かなかったらネタのまま放置。

 

  • 『バッチリのクライマックス!』
  • 『バッチリのラスト!』
  • 『バッチリの冒頭!』

が浮かぶまでは放置です。

 

一つのネタで一本の小説を書こうとしないことが

結果的に『面白い小説を書く』ことになります。

 

ネタの間で弱肉強食で競わせて、

面白いネタだけで小説を書く。

 

思い付いたネタ一つで、一本の話を書こうとするから

「これ、面白い話になるのかなぁ?」という疑問が出るんです。

 

その疑問が出た時点で、その話は放置。

 

「これ追加したら、あの話が面白くなる!」

という追加ネタが思い付くまで放置。

 

放置してたら小説があがらないよ!

面白くないネタで、面白くない小説をあげるよりマシです。

経験値を上げるために、どんどん公開した方がいいですが

『あなたにとって面白い』と思うまでは、公開しちゃいけません。

 

『あとちょっとで面白くなるフォルダ』に入れて

「どうやったらこれが凄く面白くなるかなぁ?」と呟きながら

寝る前に読みかえしましょう。

 

『あなたにとって面白い』というのは

娯楽で他の漫画や小説を読むぐらいなら、『私の小説を読む』というレベルです。

 

あなたが、自分の小説を書いているのに

娯楽で他の人のを読むのなら、それは、あなたにとって面白い小説ではないのです。

漫画とか、ジャンル違いは別ですが、同じ土俵の小説なら

あなたのを読むぐらい、『あなたにとって面白いもの』が合格点です。

 

ただ、最初からそれは難しいかもしれないので

『書き上げた』と『あなたが思える』なら、公開していくといいでしょう。

 

そのうち『あなたにとって超面白い!』ものが書けたときに

『そう思わなかった小説』とどれだけ反応が違うのか、確認するといいです。

 

世の中には『自分で書いたものは面白くない』という人もいます。

それでも、ヒットするものはあります。

 

ですので『書き上げる』ことが最優先です。

 

ただ、『絵を描く人』は最初は絵手紙すら完成させられません。

最初から、小説を完成させられると、初心者は思わない方がいいです。

 

初心者のうちは『着手』はできても『完成』はしにくいものです。

タヴィンチでも、スケッチはたくさん残っていますが、完成画は少ないです。

『完成させなきゃ!』と思うよりは

ネタをたくさん書き留めて

『テキスト描画力』を上げていきましょう。

 

『完成できない』のは、あなたの小説力が低いのではなく

『完成できるだけのネタ』がないからです。

 

全部のネタができていれば、ヘタでも完成します。

『ネタの充実』を考えましょう。

 

ですので、最初は、1000文字、3000文字などの

1ネタ1小説になるようなものをどんどん完成させていくといいです。

 

『シリーズモノ』にしてしまえば、舞台設定の説明は不要になります。

 

そして、何より、『楽しんで書く』こと。

『書けない書けない!』とうなって書いたら、

その恨みが文面から出て、読者が逃げます。

 

『書いていることが楽しくない』、もしくは

キーボードに手を置いているのに30分動かないとかだと

『書く努力』をやめましょう。

 

『一日に何文字書くルーチンを作る』とかが、一番危険です。

書けないのに書こうとすると、書くことそのモノが拷問になって

『書くことがいやになる』可能性があります。

 

『思い付いたとき(書けるとき)』だけ書く。

 

それをまず、徹底しましょう。

 

メモを常備して、思い付いたものは全部書き留めましょう。

まずは、そこからです。

 

楽しんで書いてくださいませ♪

 

 

 

 

 

蜻狸『山百合の小兵』初稿~完成稿 | 小説の書き方-プロ作家が答えます

 ↑ この小説の初稿から完成稿の一覧。

 

 ↓ この記事での説明のための、記事です

【小説の書き方】第一稿はとにかく文字にする【初歩】 | 小説の書き方-プロ作家が答えます

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